クラフトマン

こんにちは丸茂です。

 

前回書いてみた「コモディティ」について考えさせられる事件がたくさん起きてしまってますね。

これを書いている今(2022年4月25日)現在、NYコーヒー豆相場は高止まり225セントあたりを漂っています。通常期待値が100セント程度でしたから2.25倍といったところ。一時は250セントに上がっています。

原因は過去にも書いた通り

〇コロナによる需要増

〇生産国の異常気象

〇大国の流通(貿易)戦争

〇生産国の労働者不足

などがあると聞きます。

需要が増せば相場も上がってインフレが起きますが、そこに為替の変動が加わってきました。

輸入に対しては急激な円安は直接的な大打撃になります。

コモディティーの本来の目的は安定供給にありますが、こういう変化によって不安定になります。

 

コモディティが悪のような印象の書き方や言い方をしてきましたが、このコモディティー無しには生活は成り立ちませんし、そういう社会構造にしてきたことでいつでもどこでも誰でも簡単にいろいろな品物を手に入れられるようになった。つまり豊かになったということですね。

「豊かさはこれ以上いらない」と叫んだ学生がいましたが、この豊かさこそ世界が協力し合って作り上げてきた仕組みなのですから、要らなくてもその社会にいる以上、誰もがその恩恵に与っているわけですよね。インフラも似ています。

 

いずれにしてもこの急激な変化が緩み、生活の安定が戻ることを祈るばかりです。

 

さて、クラフトマンということですが。

 

クラフト・・「技能や技巧」などの意味があり、現在流行のクラフトビールなども少量生産による技巧の生きたビールということでそう呼ばれるとの検索結果でした。

 

クラフトマンシップとは、単なる職人ということではなく、よりよいものを作ろうと日々努力する姿をそう呼ぶとありました。

 

僕たち加工業者は、一定の品質を保ったり向上を狙うクラフトマンでなくてはなりません。

大きな会社にいたころ、そういった「腕」を発揮するチャンスはなく、平均的でローコストな手法や技術だけが採用されていました。

大手はもはや消費者や品質を考慮する段階を超え、自社の利益と存続のためにあり、クラフトマンシップとは遠く離れた経営戦略に縛られています。この30年は自社と自分の生き残りのために企業という船に乗り込んできた乗務員が多いでしょう。

 

そんな時代の側面に「クラフトマンシップ」あふれるビール業界の躍進がありました。酒税法の改正という大事件をきっかけに、醸造化がドッと増え、各地に地ビール生産というムーヴメントを生み出しました。

輸入業者も先を行くアメリカなどのクラフトビール輸入に着手、マイクロブリュワーも渡米して今は気象となったホップなどの材料買い付けに励みました。

そういった拘りの「品質」「個性」を前面にこれでもかという具合に主張するビールをブリュワーさんたちは次々と生み出してきました。

 

流行の波が生まれ、社会に「クラフト」ブームを巻き起こし、いまでは缶コーヒーや洋酒にも「クラフト」の名が冠されるようになってきました。すこし違うな・・と思いますが、これはこれでどうぞという感じに見えます。

 

酒税法によるところの醸造免許をとり、保健所の衛生検査基準をパス、税務署に醸造家として経営者の届け出をすれば誰でもビールの醸造家になれます。

 

酒税法の骨子はコモディティ化と厳重な税金の徴収システムにあります。

一定数量を扱うことができないと認可されません。

ビールでは60kl/年(見込み)の生産力を最低基準としています。

実際のブリュワーさんに聞いたところ「その量で経営できるわけがないから下限の意味はほとんどない」とのことでしたが、法の狙いは税金の確実な徴収と魅力あるコモディティの創出なので、税務署の要求に従ってみんな頑張っているということなんですね。

 

さきごろ東京に新しく出店されたクラフトビール販売会社さんの扱う商品がドン・キホーテの非冷什器に並んでいました。

数量と価格のマジックもすでにこの業界に浸透してきました。

あの「PUNK」がスーパーに並ぶ日が来るとも思っていませんでしたし「STONE」がドンキに出る日が来るとも思っていませんでした。

知り合いの飲食店さんはこう言った現象もポジティヴにとらえ、いままでクラフトビールを飲まなかった人たちに効果的な広告チャンスとの見方をしているそうです。

 

しかし消費者はこれまで同様に、アサヒがキリンがサントリーがやってきたビール市場の宿命をかぶせてきます。これは仕方なくやってくる現象で、スーパーに並んだ直後から「普通のビール」の仲間入りを果てしてしまっているわけですから、区別化・差別化・ブランド化の原則を自らどんどん崩しているわけです。

まんまと税務の仕組んだ線路をひた走る以外ないのでしょうか。経営は持続的なものではなく、いつか必ずダンピングという波に襲われ、コストを見直して品質を落とす。

この30年失ってきたものと全く同じ物語の上にこの「クラフトマンシップ」も乗っていることに気付ける由もなくです。

 

キリンビールはこのブームに乗って、高いレートで取引されているゾーンの商品開発を行いました。しかし大手のビールがクラフトビールなのかという疑問に勝てず苦戦中とみています。

 

ネガティヴな私見になりますが、これらが今起きている不景気の原因のひとつです。

 

広域ではコーヒー豆の生産価値もこのような”しくみ”で変動しています。

 

珈琲の世界ではこのクラフトに当たる部分を一部ではスペシャルティと銘打って展開しています。スペシャルティの語源はあいまいで、日本スペシャルティ珈琲協会では、豆の質や味のバランスや量感を官能的に評価して合格したものをスペシャルティと呼ぶことにしていますが、それでは各国で行われるカップオブエクセレンスのような品評会で入賞したロットは必ずしもスペシャルティではないということになろうかとも思いますし、点数が評価者の官能基によるというあいまいさがこの珈琲業界の難問でもあります。

クラフト珈琲というカテゴリーは聞いたことがありませんが、現在のスペシャルティはその意味合いからしてクラフトなんだろうと思います。

 

生産国の農家や精製所のクラフトマンシップによって生まれてくるクラフト(スペシャルティ)珈琲は実に多彩でその品質は珈琲豆の頂点にふさわしい、桁外れの味わいをもたらします。

 

そして我々焙煎家の手によって幾通りにも料理され、淹れ手のクラフトマンシップによって抽出されるのです。

 

至高の一杯というカップに巡り合うのは簡単なことではありませんし、珈琲にかかわる全員がその答えを探す旅の途中であるといわれます。

作り手や焙煎家のほかにも、キュレーターと呼ばれるまとめ屋さんや、シッパーという送り手さん、流通を手配する業者さんたちの力をあわせて世界でこのクラフト(スペシャルティ)珈琲が楽しめるようになりました。

 

農家にとってコモディティスペシャルティの差は実に大きく、量と価格の比は断然にスペシャルティロットの軍配が上がります。しかしコモディティのように安定契約がもたらされない限り、いくら良いものを作っていても買ってもらえなければ宝の山のままになってしまいます。

 

幸いなことに、このスペシャルな珈琲を取り巻く環境は年々進歩して、僕のようなマイクロクラフトマンショップ(w)でも手に入れることができるようになったのです。

 

気に入った農家の豆を一定に仕入れることができるのです。

このことがコモディティ化の礎にならないことを願ってやみませんが、僕が生きている間はそんなことは起きないでしょう。

 

さてクラフトビールです。

”手に入りやすさ”がもたらす価値の低下という魔のサイクルは酒税法という愚かな法律と、馬鹿の一つ覚えのような流通機構がもたらします。たくさん作ってたくさん売れれば利益率を下げてもいいよね・・・・ってことです。

 

珈琲のそれはどうでしょうか。

輸入商社がすべてを買い取ってしまえばやはりこのサイクルに馴染んでしまうかもしれませんし、買い手市場のそれは今話題の持続可能性という意味で「やった分だけの利を得る」ことができなくなるでしょう。誰でも作れる良質な豆の出現や機械などによる効率化が進めば、農家は合理化されてコモディティ化は進み、ある意味安定供給と税の安定収入が得られるようになってくるかもしれません。

 

少しでも良くしようと懸命に磨きをかけるその力こそクラフトマンシップ

個性やロマンもそのクラフトマンシップの表す品物に反映されています。

ブランディングだのマーケティングだの、もともと百貨店でマスマーケティングオンリーの商売を見てきたので、マイクロブリュワーやミクロ焙煎家の存在意義は僕にとって特別なものなのです。

 

全国のクラフトマンさん、社会は皆さんに期待しています。

是非、量のマジックに踊らされることなく、アイデンティティを貫いてください。