世界一うまい珈琲の淹れ方
はい、タイトルは有名人のパクリとなっておりますのであしからずご了承ください。
みなさんどうなんでしょ?珈琲を煎る側としてはできるだけ多くの方に「おいしい」と感じていただきたいと思って日々頑張っておりますが、”淹れ方”で珈琲は大きく変化しますので、あの店で買ったコーヒーも、この店の珈琲も淹れ方次第ってところがあります。
もちろん、豆の種類や生産年度、焙煎方法や焙煎深度によって変化しますが、淹れ方ってほんと大事なんです。
僕自身ペーパードリップでストライク(自分が一番おいしいと思うカップ)を引き出すのに200g使っても当たらないこともありますし、過去、ケニヤの中深煎りでトライし続けて500g終了したこともあります。コンテストに出る人は1kgの豆と戦っていたりします。
一期一会の豆でストライクを引き出すのは本当に難しい。
そこで、既においしく淹れることに成功している「いつもの珈琲」が必要になってきます。いつもの珈琲は、淹れる環境が一定ならいつも同じ感じのカップを味わうことが出来ます。一度成功すればだいたい順調に幸せな珈琲ライフを送ることが出来るんです。
僕たちはそのご期待にお応えするべく”いつもの”珈琲を絶やさないように努力します。しかし近頃の世界的な高騰に加えて物流麻痺や為替の急変動と、連打されてしまうと流石に豆も奪い合い状態になったりして、「いつもの珈琲」と呼ばれる豆も「安定のコモディティ」でもなくなってしまい、品質低下や、すでに入手できなくなった品種も。
僕もいろいろ対策を講じていますが、世界で引きあっている珈琲という商材・コモディティの品質低下や高騰はこれだけ急激な変化の影響を避けられません。
ICチップが手に入らないために、生産予定の自動車も受注残のまま。本当につらい時代です。
でもまあ考え方を変えてみると、珈琲の味わい方が変われば「いつもの珈琲」をマンネリととらえ「新たなるスペシャルティ」を楽しむ方法を模索する新たなる旅に出かけられると考えてもいいかもしれませんし、ここで僕と一緒に至高の一杯を探す旅に出かけませんか?
僕の店でもすでに直輸入のスペシャルティを販売させてもらってますが、これまた素晴らしい珈琲ながら「いつもの」珈琲ではないわけです。
ある珈琲をいつもの調子で飲んでみると残念ながらイマイチ。次に細かく挽いて熱い湯温で淹れてみると心地よい明るい印象になり「これぞスペシャル・・・」という表情に変化しました。この旅の経由地の一つを制覇したのです。
いつも苗種や精製方法でだいたいのあたりをつけてテスト焙煎してみますが、これも1kgほどテストの餌食になります。(入荷してから準備が長くてスミマセンw・・)
飲み方ってほんと大事(大切なことなんで2回目w)
そこで「世界一うまい」淹れ方を研究してみようということです。至高の一杯を探しに出かけましょう!
代表的な飲み方はやはりペーパードリップだと思いますが、違う飲み方を採用している方にもだいたい合うように考えてみましょう。
ポイントは3つ。
1・豆の量と粒度
2・湯温
3・抽出速度
豆種や焙煎度はこの3つ全てにまたがって作用する条件なので、ここでは先にこの3つに絞って考えます。飲み方の法則が手に馴染んでから豆種と焙煎度を考えるようにするとうまくいきますし、豆屋でほしい豆を伝える表現に困らなくなってきます。
1・豆の量と粒度
これは珈琲の濃さを司る基本かと思います。しかし意外とテキトーですし、いつも同じ量で飲んでいる人が多いと思います。
濃い感じがマッチする豆種や焙煎度の豆を飲んでいるのに、少なく使っているとポテンシャルを引き出せませんし、深煎りで強さのある豆を大量に使えば濃すぎに・・
ここで勘違いしてはいけないのが、すべては好みの問題なので正解はありません。
僕のフェイバリットのひとつはシグリのフルシティーを多めに粗びき、ぬるめ・早めに入れたカップです。
豆が多めなのは、粗目で早めに出すためのカバーです。
「何を言ってるんだこいつは」という方もいらっしゃるでしょう。でも勝手にそう思っててください。僕がそう感じて、そう考えているということだけ今日はお伝えしておきます。
なにしろ多めは濃くなります。湯温や速度との関係性において、薄くなってしまいそうなときは多めに。反対は少な目ということです。飲んでみて検証するしかありませんが、意味合いとしてはそういうことです。
濃いということは、雑味成分が多く出るとか単純に苦くなるとかそういうこととも違い、すべてが濃くなるという感じです。
前にも書きましたが、何事にも標準値というものが必要です。
豆の量については(勝手にですが)標準値をこう決めておきましょう。
・14グラムで125ccの珈琲
2杯では22g、3杯は30gです。
あくまでも基準として考えて、薄いときは増やし、濃いときは減らすという調整のための指針です。
1度に多く抽出するときは豆の量が少なくても濃く出る傾向があります。限りなく続く傾向ではなくて、だいたい5杯程度までは必要豆は減少します。それ以上あまり淹れたことがありませんが、1杯と2杯では大きな開きですね。
粒度も大きく影響します。細かく挽いたときは濃く、粗びきは薄いと考えればだいたいいいと思います。
粗びきにするとタール系の強い苦みが出にくいので、深煎りの珈琲にはいいと思います。反対に浅煎りの場合は酸味が目立つカップになることもあります。
「深煎り・多め・粗挽」とか、「浅煎り・普通・細挽」が、平均的なコントロールかと思います。
深煎りで強い豆のときに、いくら粗びきにしても苦すぎる珈琲がありますが、そんな時豆を少なくしてみるといいと思います。
2・湯温
珈琲は日本茶と違って60度のお湯では淹れません。
しかし沸騰したままの高温でも厳しいんです。
いろんな温度計を試してみていますが、コーヒーメーカーの仕組みから推察すると沸騰させた湯を水蒸気の圧で押しあげてドリップする方式のものがだいたい93度ということのようです。
この温度は浅煎りのシダモなんかにマッチしていると思います。
しかしシティーローストの珈琲だと苦みなどが増えてしまって、「苦くて飲めない」といわれる珈琲になってしまうことがあります。
残念なんですが、そういわれてしまう珈琲のほとんどがもう少し低温で淹れれば甘くてふくよかな珈琲に変身します。
反対に低温すぎれば十分な抽出が出来ず、「珈琲のようなお湯」が出来上がってしまいます。
適温って何度なんでしょうね・・・・
いろんな温度計を駆使して計測と実験を繰り返してみていますが、ポットについている温度計で85度~87度あたりで先ほどのシグリを飲んでみるとよい苦みと甘みを出すことが出来ました。
僕は窯の温度を測るときに赤外線計測器を多用していますが、お湯に使うと水面で反射したり金属を計測してしまったりしてうまく測れないことが多いです。
一般的な温度計も、計測中にどんどん温度が変化してしまいますし、何個か使えばわかりますが個体差もあったりします。
理科の実験で使うようなタイプは素早く正確に計測できるようですが、耐久性に問題があります。
そこで提案です。
別のポットやドリップポットに一度沸騰させたお湯を移し、湯温を下げてみてください。下がりきらなければもう一回。
この方法でストライクが見つかると強いです。方法が決まってしまいますから、計測する必要がありません。温度計と科学が好きな方は計測にこだわって良いと思いますが、再現するために何度もいろんなチャレンジを繰り返していると、結局この「入れ替え方式」にたどり着くのではないでしょうか。
沸かしたお湯に一定量の水を入れて冷ます方法の人もいます。
高温が似合うのは浅煎りのモカ、低温が必要なのは深煎りのマンデリンという感じで、体験からイメージがつかめてきます。
3・速度
これは大きな課題です。ドリッパーに空いてる穴の大きさで変わりますし、何杯淹れるかでも変わってきます。
早すぎれば内容が薄く、遅すぎると余計な雑味が出てくる。
バリスタさんのテクニックで一番個性が活きるのはお湯の「投入」の仕方でしょう。
ハリオV60は大きな1穴のドリッパーですが、古いカリタなどの3穴のものとは湯の流速が速いです。早く淹れたい場合は大きなもの。ドリッパーで湯を溜め、長く抽出したい場合は穴の小さいのもをそれぞれ選べばいいでしょう。
流速はドリッパーの穴だけでは決まりません。
細かく挽いた豆やミキサー式のミルで粉砕されている豆の場合、フィルターに詰まって流れが悪くなります。どんなに大きな穴のものを使っても、目詰まりはいただけませんので挽いた豆が粉々にならないタイプのミルをお勧めします。
ミルもドリッパーも様々ですが、これはもう出会ってしまったものを買ってみるしかありません。一つ使ってみてその個性を理解できれば次にほしいものの条件が見えてくるでしょう。
初めの一投で豆が水分を吸って泡立ちますよね。そこで30秒くらい待って、次のアクションに移りますが、これはムラシと呼ばれてます。一気に湯を注いでみればわかりますが、泡が噴出して溢れるとか、うまく全体に湯がかけられないと思います。
ひとつはこの「できない」のを防ぐことがムラシの目的です。
ムラシの間に、豆の成分が緩んで溶け出てきます。ゆっくり注いで落としてください。30秒で出すぎたら、次は20秒。それでもだめなら15秒。反対に出ないと感じたら40秒と変化させ、ムラシのテクニックをマスターしましょう。同じ豆でやらないとわかりませんから、200gのうちに自分に合ったフィールを見つけ出しましょう。
うまくいったら同じ豆を買って同じフィールのカップを再現してみましょう。
浸漬式というドリッパーがありますが、カップ状の部分に湯をためて、サイフォンのように豆を漬け込んでから落とします。これを使うと、ほぼ時間の管理だけでうまくいきます。
お湯を投入するときに注意したいのが、豆を叩きすぎないことです。
ほかの器具でもだいたい共通して言えるのが、「豆をそっと扱うのが大事」です。
ドリップ用のポットには細い注ぎ口がありますが、ものによってさまざまな太さになっています。早めに入れたい場合は太いもの。一人用にゆっくりやりたい場合はより細いものを選ぶとやりやすいと思います。
豆を叩くとは、注ぎ口から出るお湯で豆を強く刺激することです。高い位置からお湯を落とすとそうなります。強くやるとカップが濁って暗い印象、ドロッとしたフィールになることが多いです。個人的に「餡子になる」と呼んでます。
コツというほどのものでもないと思いますが「ゆっくり回しいれる」でいいと思います。
ドリッパーいっぱいに湯を注ぐ方法と、少なく済ませる方法があると思いますが、僕は1~2杯用のドリッパーなら、溢れない程度の湯を投入します。泡の出る量にもよりますね。
泡にこだわる方もいらっしゃいますが、鮮度の良い豆は泡がたってしまいますので、一投目のムラシを十分に行ってください。必ず泡でドームを作るのが正しいということではありませんが、古い豆は確かに泡立ちはありません。新しい豆・深煎りの豆は泡が出るのでドームが出来やすいです。
落ち切ったときにフィルターにきれいに豆が張り付いていたら成功とか、ドームを崩さずに最後までとか、よく見かけますがその類は全部その人の成功体験です。正解だし、そうじゃないかもしれない。ただ、真似をすればそれに近い体験ができるかもしれません。
蛇足ですが、金属フィルターで粉が落ちる現象の対処に、最初にフィルターを濡らしておくというのがあります。濡れたフィルターに先に出会った豆が膨らんで、目をつまらせて豆フィルターになってくれるんです。お湯で洗い流してしまうと効果が無くなりますので。投入は中心からあまり離れないことと、お湯の量を少なめ(ゆっくり)やるといいですね。
浸漬式やサイフォンの方は豆全体をお湯に通す程度の攪拌が必要になりますが、そっと「叩かない」程度にするほうが、よりクリアな仕上がりになってきます。
全体をおえて、だいたいですが3分以内に抽出が終了していればいいという人が多いです。たしかに長すぎれば飲むに堪えないギトギトのカップになったり、早すぎればコーヒー味のお湯になったりします。全体の時間を図るスケールがあれば、時間を参考にする手法は成り立ちますから、感覚より科学という方は特にスケールを使ったほうがいいでしょう。
ドリップの器具はペーパーフィルターのほかに、金属や瀬戸物もありますし、茶こし網や急須を使う手もアリです。
珈琲は自由なものです。絶対的な正解はありませんし、好きなゾーンに行かれればそれが正解です。
エチオピアのナチュラルを深煎りでお求めになる方もいらっしゃいますし、ケニアの浅煎りの方も。
サイフォンの方もエスプレッソマシンの方も。(エスプレッソの方には通常中深か深煎りをお勧めしていますが、じつは中煎りもおいしいのでお試しください)
是非、どんどんいろんな方法を試してみてください。きっと「これだ」というカップに出会える時が来ますし、それを味わった後はその先を求めて深く深く沼にはまっていくに違いありません。
結論ですが、試してみることです。敷かれたレールもいいですが、自らの理論で導き出した答えこそ正解と呼ぶのにふさわしいメソッドなのです。
そしてそのメソッドを駆使するスキルにこたえる豆を選べばいいのです。
酸っぱいタンザニアの果実感を味わいたい・・
焼け付く太陽、アフリカの大地から生まれるエネルギーを、クリアな中米のウォッシュ、世界屈指の鑑定人を誇るブラジル、夜になれば野生動物たちの天下になるような原生林から珈琲はやってきます。
雨の日には優しいモカ、憂鬱な月曜日の朝は甘くカフェインを運ぶスマトラウォッシュ。目を閉じて夏の思い出に浸る午後、ペルーナチュラルの甘いショコラ感を。
時にゆっくり。サイフォンの向こうに見える世界をたのしんでみたり。
エスプレッソの強烈に強い珈琲を味わってみたり。
いつもの珈琲に帰ってきてみたり。
早い速度で交通事故にあうと死亡率が高いです。
僕は今回そういうたぐいの戯言をここに記しました。なめたことをしているなとお感じになった方もいらっしゃることでしょう。謝りますゴメンナサイ。
当たり前のことを整理して筋道を確かめる。でもそれぞれの場面で判断するのが難しいですね。
ええ。僕もこの旅の途中です。
あ、最後です・・・
みなさんが沼にはまってしまった責任は取りませんのであしからずご了承ください。
でも至高の一杯を探す旅のお手伝いはさせていただきますので、ご相談くださいね。お待ちしております。
クラフトマン
こんにちは丸茂です。
前回書いてみた「コモディティ」について考えさせられる事件がたくさん起きてしまってますね。
これを書いている今(2022年4月25日)現在、NYコーヒー豆相場は高止まり225セントあたりを漂っています。通常期待値が100セント程度でしたから2.25倍といったところ。一時は250セントに上がっています。
原因は過去にも書いた通り
〇コロナによる需要増
〇生産国の異常気象
〇大国の流通(貿易)戦争
〇生産国の労働者不足
などがあると聞きます。
需要が増せば相場も上がってインフレが起きますが、そこに為替の変動が加わってきました。
輸入に対しては急激な円安は直接的な大打撃になります。
コモディティーの本来の目的は安定供給にありますが、こういう変化によって不安定になります。
コモディティが悪のような印象の書き方や言い方をしてきましたが、このコモディティー無しには生活は成り立ちませんし、そういう社会構造にしてきたことでいつでもどこでも誰でも簡単にいろいろな品物を手に入れられるようになった。つまり豊かになったということですね。
「豊かさはこれ以上いらない」と叫んだ学生がいましたが、この豊かさこそ世界が協力し合って作り上げてきた仕組みなのですから、要らなくてもその社会にいる以上、誰もがその恩恵に与っているわけですよね。インフラも似ています。
いずれにしてもこの急激な変化が緩み、生活の安定が戻ることを祈るばかりです。
さて、クラフトマンということですが。
クラフト・・「技能や技巧」などの意味があり、現在流行のクラフトビールなども少量生産による技巧の生きたビールということでそう呼ばれるとの検索結果でした。
クラフトマンシップとは、単なる職人ということではなく、よりよいものを作ろうと日々努力する姿をそう呼ぶとありました。
僕たち加工業者は、一定の品質を保ったり向上を狙うクラフトマンでなくてはなりません。
大きな会社にいたころ、そういった「腕」を発揮するチャンスはなく、平均的でローコストな手法や技術だけが採用されていました。
大手はもはや消費者や品質を考慮する段階を超え、自社の利益と存続のためにあり、クラフトマンシップとは遠く離れた経営戦略に縛られています。この30年は自社と自分の生き残りのために企業という船に乗り込んできた乗務員が多いでしょう。
そんな時代の側面に「クラフトマンシップ」あふれるビール業界の躍進がありました。酒税法の改正という大事件をきっかけに、醸造化がドッと増え、各地に地ビール生産というムーヴメントを生み出しました。
輸入業者も先を行くアメリカなどのクラフトビール輸入に着手、マイクロブリュワーも渡米して今は気象となったホップなどの材料買い付けに励みました。
そういった拘りの「品質」「個性」を前面にこれでもかという具合に主張するビールをブリュワーさんたちは次々と生み出してきました。
流行の波が生まれ、社会に「クラフト」ブームを巻き起こし、いまでは缶コーヒーや洋酒にも「クラフト」の名が冠されるようになってきました。すこし違うな・・と思いますが、これはこれでどうぞという感じに見えます。
酒税法によるところの醸造免許をとり、保健所の衛生検査基準をパス、税務署に醸造家として経営者の届け出をすれば誰でもビールの醸造家になれます。
酒税法の骨子はコモディティ化と厳重な税金の徴収システムにあります。
一定数量を扱うことができないと認可されません。
ビールでは60kl/年(見込み)の生産力を最低基準としています。
実際のブリュワーさんに聞いたところ「その量で経営できるわけがないから下限の意味はほとんどない」とのことでしたが、法の狙いは税金の確実な徴収と魅力あるコモディティの創出なので、税務署の要求に従ってみんな頑張っているということなんですね。
さきごろ東京に新しく出店されたクラフトビール販売会社さんの扱う商品がドン・キホーテの非冷什器に並んでいました。
数量と価格のマジックもすでにこの業界に浸透してきました。
あの「PUNK」がスーパーに並ぶ日が来るとも思っていませんでしたし「STONE」がドンキに出る日が来るとも思っていませんでした。
知り合いの飲食店さんはこう言った現象もポジティヴにとらえ、いままでクラフトビールを飲まなかった人たちに効果的な広告チャンスとの見方をしているそうです。
しかし消費者はこれまで同様に、アサヒがキリンがサントリーがやってきたビール市場の宿命をかぶせてきます。これは仕方なくやってくる現象で、スーパーに並んだ直後から「普通のビール」の仲間入りを果てしてしまっているわけですから、区別化・差別化・ブランド化の原則を自らどんどん崩しているわけです。
まんまと税務の仕組んだ線路をひた走る以外ないのでしょうか。経営は持続的なものではなく、いつか必ずダンピングという波に襲われ、コストを見直して品質を落とす。
この30年失ってきたものと全く同じ物語の上にこの「クラフトマンシップ」も乗っていることに気付ける由もなくです。
キリンビールはこのブームに乗って、高いレートで取引されているゾーンの商品開発を行いました。しかし大手のビールがクラフトビールなのかという疑問に勝てず苦戦中とみています。
ネガティヴな私見になりますが、これらが今起きている不景気の原因のひとつです。
広域ではコーヒー豆の生産価値もこのような”しくみ”で変動しています。
珈琲の世界ではこのクラフトに当たる部分を一部ではスペシャルティと銘打って展開しています。スペシャルティの語源はあいまいで、日本スペシャルティ珈琲協会では、豆の質や味のバランスや量感を官能的に評価して合格したものをスペシャルティと呼ぶことにしていますが、それでは各国で行われるカップオブエクセレンスのような品評会で入賞したロットは必ずしもスペシャルティではないということになろうかとも思いますし、点数が評価者の官能基によるというあいまいさがこの珈琲業界の難問でもあります。
クラフト珈琲というカテゴリーは聞いたことがありませんが、現在のスペシャルティはその意味合いからしてクラフトなんだろうと思います。
生産国の農家や精製所のクラフトマンシップによって生まれてくるクラフト(スペシャルティ)珈琲は実に多彩でその品質は珈琲豆の頂点にふさわしい、桁外れの味わいをもたらします。
そして我々焙煎家の手によって幾通りにも料理され、淹れ手のクラフトマンシップによって抽出されるのです。
至高の一杯というカップに巡り合うのは簡単なことではありませんし、珈琲にかかわる全員がその答えを探す旅の途中であるといわれます。
作り手や焙煎家のほかにも、キュレーターと呼ばれるまとめ屋さんや、シッパーという送り手さん、流通を手配する業者さんたちの力をあわせて世界でこのクラフト(スペシャルティ)珈琲が楽しめるようになりました。
農家にとってコモディティとスペシャルティの差は実に大きく、量と価格の比は断然にスペシャルティロットの軍配が上がります。しかしコモディティのように安定契約がもたらされない限り、いくら良いものを作っていても買ってもらえなければ宝の山のままになってしまいます。
幸いなことに、このスペシャルな珈琲を取り巻く環境は年々進歩して、僕のようなマイクロクラフトマンショップ(w)でも手に入れることができるようになったのです。
気に入った農家の豆を一定に仕入れることができるのです。
このことがコモディティ化の礎にならないことを願ってやみませんが、僕が生きている間はそんなことは起きないでしょう。
さてクラフトビールです。
”手に入りやすさ”がもたらす価値の低下という魔のサイクルは酒税法という愚かな法律と、馬鹿の一つ覚えのような流通機構がもたらします。たくさん作ってたくさん売れれば利益率を下げてもいいよね・・・・ってことです。
珈琲のそれはどうでしょうか。
輸入商社がすべてを買い取ってしまえばやはりこのサイクルに馴染んでしまうかもしれませんし、買い手市場のそれは今話題の持続可能性という意味で「やった分だけの利を得る」ことができなくなるでしょう。誰でも作れる良質な豆の出現や機械などによる効率化が進めば、農家は合理化されてコモディティ化は進み、ある意味安定供給と税の安定収入が得られるようになってくるかもしれません。
少しでも良くしようと懸命に磨きをかけるその力こそクラフトマンシップ。
個性やロマンもそのクラフトマンシップの表す品物に反映されています。
ブランディングだのマーケティングだの、もともと百貨店でマスマーケティングオンリーの商売を見てきたので、マイクロブリュワーやミクロ焙煎家の存在意義は僕にとって特別なものなのです。
全国のクラフトマンさん、社会は皆さんに期待しています。
是非、量のマジックに踊らされることなく、アイデンティティを貫いてください。
大掃除
私、実はお掃除のプロ ”ビルクリーニング技能士” であります。
清掃監督者講習も病院清掃責任者講習も受講して大型商業施設の施設責任者をやらされておりました。特高受電設備を備えた変電設備や上下水、空調。EV・ESCなどビルの全てを管理するという輝かしい功績を・・・(なんの役にも立ってませんwww)
みなさん大掃除終わりましたか?
クエン酸と重曹で大体できる水回り、近頃はプロより上手な人が多いようです。
日本ではお餅をついたり、掃除で清めたり、新年を迎えるにあたって祈りを込めていろんなことをしますよね。
僕も掃除でコロナがなくなってしまえばいいと心を込めて掃除します。
僕のような超小型業者は埃や油との戦いです。
換気扇は2ヶ月も経たないうちにウニみたいになっちゃうし、作業場はチャフが舞って埃だらけ。ですから大掃除は2ヶ月に1度程度やっています。
床のワックス清掃はマイポリッシャーを駆使して傷んだら施工。自宅の床もフローリングなのでもう少しきめ細かくやらねばならんと思っていますが・・なんとも
プロに頼むと繁忙期はよろしくありませんから、できれば本格的なお掃除は夏に終わらせるか、常に綺麗にしておくのが望ましい・・(いやなんでもありません)
それにしてもコロナで国民の衛生意識が上がったという話です。
感染者が減ったら元に戻る衛生意識だったらそれも国民性ということでしょうかw
来たる2022年に向けて残りの時間を衛生的に、頑張って参りましょう!!
コモディティ
こんにちは〇茂です
タイトルとは関係ありませんが今年は金木犀が二度、三度さきました。ツツジや桜まで咲いたそうです。
異常気象なんでしょうか。この先のことが気になりますね。
珈琲豆もこの異常気象で被害を受けていて、持続可能なのか気になります。
コモディティですが、グーグル検索によると「商品のこと」という説明を載せるページがヒットします。
次にコモディティ化というワードを説明されます。
珈琲豆のコモディティ化を嘆く前に、いろいろなコモディティについて考えてみましょう。
僕のアパレルと百貨店での経験をお話ししたいと思います。
アパレルというとファッショナブルで華やかな印象の職業に聞こえますよね。確かに青山のガラス張りのビルにサロンを構えるプレタポルテ(高級既成服)の端くれでしたので、なんとなくチャラチャラしていました(笑)
オートクチュールと違って既製服ですので、一型で3~5サイズ展開、バイヤーの発注に従って製造する方法でした。バイヤーは百貨店や専門店、自社展開の路面店などから集まってもらい、ファッションショーを開催して、台帳に発注量を記入してもらいます。発注会といいます。
この台帳を作るのも、舞台裏でモデルに着せるのも我々スタッフの仕事です。
モデルに着せた状態で撮影し、生地見本とともに台帳に貼ったりします。
生地は社長がヨーロッパに出向いて仕入れてきます。パターンを日本人向けに改造して服を製造します。
ヨーロッパの本社とは「ライセンシー契約」をとり、作ってもよろしいという許可をもらいます。
デザインや生地がほかにないテイストを生み出し、ブランドの個性を主張します。
服は主縫製のほかボタンホールやネーム、プレスなどたくさんの工場を回って完成していきます。生産工程も季節に合わせて組まれ、工場の仕事量も大変です。相当な手間をかけて作られていましたが、それなりの価値基準の中にあって、それなりの価格体で販売されていました。振り返ると、ボタンホール屋は同じホールを延々と、プリーツ工場は同じプリーツを延々と、みな量産するための分業だったのです。このことが直接コモディティ化の原因ではないと思いますが、同じような工場やプロセスで作られる服に、そう大きな違いは生まれてこないのかもしれません。
仕上がったドレスを百貨店に納品するにあたり、ショップで展開する小道具である服飾雑貨(チーフやアクセサリー)も我々が用意していました
専門のメーカーから仕入れますが、アクセサリーもライセンスによる量産です。
百貨店に軒を連ねた個性的なハイエンドアパレルブランドのなかにそれらの商品(コモディティ)は並びます。
ここまで進んでくるとお気づきの方もいらっしゃると思います。
百貨店に並ぶあのブランド品のハンカチ。作っている会社はだいたい同じです。どれも大体同じハンカチですね?柄が個性的なプリントだったりするので、区別はできるんですが、なんとなく同じです。しかしお値段がブランドで違ったりします。
このハンカチのように、煮詰めていった結果、価値の差別化が困難になっていく状態を「コモディティ化」というようです。
プレタポルテであっても、個性はやがて均整の取れた塊の中に埋もれてしまい、「百貨店で売っている服」に過ぎない存在になってしまいます。
袖のボタンホールが一つだけ色違いになったジャケットが流行りましたが、これほどまでに”差別化に必死”だったことが見て取れます。
やがて同じことの繰り返しになったブランドは価値を失ってしまうのです。先輩たちがボーナスをたくさんもらったブランドは音もなくスーッと消えてなくなりました。
コモディティ化はブランドを殺します。デザイナーも、アトリエも潰れてしまいます。
生産関係者のにも大打撃です。
サンヨーがバーバリーからライセンスを奪われました。
これはわかりやすいコモディティ化防止のブランド戦略だったということかもしれません。
サンヨーはモノづくりにかけて一流でした。サンヨーのバーバリーを着れば銀座でちょっと目を引くおしゃれな人になれました。
しかしこの一流なモノづくりをもってして、バーバリーが大量生産されてしまいました。本社のクオリティを超える「良い品物」が安価で大量に出回ってしまったのです。
本社のブランド価値は日本では通用しなくなり、いつの間にかバーバリーは「庶民の服」となってしまったのです。
百貨店を見渡せばこのコモディティ化はますます深刻な状態になってきています。だいたい同じ服。
現在の百貨店社員に求められている能力は売ることであり、売れる販売員をマネジメントする能力です。
百貨店の過去は、品質検査のために一点一点縫い目を虫眼鏡でチェックした時代もありました。
そのことが「他にない品質」や「間違いない信頼」を生んでいたはずです。
しかし品質管理はメーカーの責任、売れる場所を提供して利益を追求する合理化が進みました。販売員もメーカーからの出向者で、百貨店の社員が責任をもって品物を保証するシーンは過去のものになりました。
ビジネスモデルの崩壊に百貨店は苦しみます。なぜ売れないのか?
対策はEC事業を拡大、場所貸し不動産業化の推進です。
設備投資や維持費にかかわるコストなどをいくら削減しても経営は落ち込むばかりで、不採算になった店舗から閉鎖していきます。
もちろんこの「コモディティ化」だけが百貨店を追いやったわけではありませんが、百貨店で高いお金を出す意味がなくなったのは事実でしょう。
さて珈琲豆ですが、スーパーの棚にはコモディティ化した珈琲が並び、生産者が生産を維持できないまでに価格は下がり、社会的地位を失ってきました。
コモディティ化は深刻です。映画「A film of~」でもこのコモディティという問題を強く訴えています。
最後のシーン「(あれは)珈琲じゃない」は印象に残るメッセージではないでしょうか。確かにおいしいとは感じないのではないでしょうか。
時代的にも珈琲はコモディティ化するのにちょうどマッチした”商材”だったかもしれません。しかし生産者はコモディティ化によって守られることはなく、貧困にあえいできました。
貧困ビジネスはさらに珈琲の品格を落とします。
お金がない農家は十分な栄養を苗に与えることなく、野路栽培で得た豆を通りの隅に座って売って生計を立てていたりします。悪徳ブローカーは「その豆、全部買うから安くしろ」と買い取って、ほかの優良な豆に混ぜて農協のような組合に持ち込みます。
その豆は組合の基準を外れなければそれなりの等級で取引され、多少の混ざりものは見逃されてしまう。ブローカーはただ同然で入手した分量を高級豆の単価でまんまと売ってしまうのです。
安定供給のために、食品のコモディティ化は進みました。
しかし見渡せば日本にはいいものがたくさんあります。
北海道の小麦や東北のフルーツをはじめ、各地で生産される品種がブランドとなり、高値を付けるスペシャルな農作物たち。
工業や繊維の世界にもこういったスペシャルな商品はたくさんあります。
関の包丁や岡山のデニムなどもそういうことでしょう。
一部、水揚港がブランドとなる水産業界ではそのブランドを冠するために遠くからわざわざ持ち込むという裏技も行われているといいますが、産地偽装に近いそのやり方が認められてはいけません。
生産者は襟を正し、より良い品づくりに邁進しているのです。
あちこち話が飛びますが、百貨店時代に日本をテーマにする企画がありました。個人的に日本製の優良な品質や競争力のある品物が集結するものだと思って期待してみていましたが、内容は恐ろしく残念なものでした。
和柄プリントのコモディティを中心とした商品群が店内に飾られただけでした。
いろいろと絶望的な話ばかりになりましたが、希望は見えています。
珈琲もスペシャルティという全く特別な豆が現れています。
「ただ高い高級な豆」という印象をお持ちの方が多いでしょう。しかし、本当にそうでしょうか。品物の価値というのはVとCの割り算で求められます。価格が安くても品質が低ければ損な買い物になっているのです。
だいたい同じの豆をできるだけ多く作り供給するコモディティと違い、苗の育成から精製まで、しっかりとコントロールされ、狙った品質に到達させるべく管理を徹底して生まれてくる本物の珈琲がスペシャルティです。
その流通はほぼダイレクトトレードになります。生産者から直接ロースターへ、そしてカフェや消費者へと流れています。少量生産(マイクロロット)なので、同じ豆をいつも楽しめるわけでもありません。
中間に業者が関与しませんが、船代や税関、手数料などの負担はロースターにかかります。
たったいま、市場で珈琲暴騰が起きています。これはコモディティを守るための現象です。スーパーでも我々ロースターでも、欠品は避けたいのです。需要と供給のバランスが崩れれば高騰もするし下落もする。
生産者が努力して差別化を図ったスペシャルティは毎年そのシェアを伸ばしてきました。さらに世界の生産者は高品質化への取り組みを進めています。
コモディティに流れる安価な量産から、しっかりと所得を得られるスペシャルティを扱う農家やシッパーが増えてきているのです。
このスペシャルティをダイレクトに購入できる仕組みを提供するサービスも増えてきています。僕の店でも小規模商社さんからの小ロット購入や、ダイレクトトレード斡旋による購入も行っています。
高品質な珈琲のトレンドはアナエロビック精製です。まだまだこの精製による珈琲は発展途上ですが、ナチュラルにもウォッシュにもない独特な風味が特徴です。
オファーリストを見てみるとどの国の農園もこぞってこのアナエロビックに挑戦してきています。世界が注目する技術に盛んに取り組んでるのです。
残念ながら僕はまだ買っていませんが、「これは」とおもうロットに出会ったら是非ご紹介したいと思います。
珈琲もその価値を独自の方法で発展させ、本物の生き残りをかけた戦いが始まっています。
安定供給が最重要とされてきた流通ですが、これからは「あるときしかない」価値や、独自の価値をしっかりとお伝えする手法が要になってくるような気がします。
マスマーケティングによる大量生産品の拡販を行うこれまでの仕組みは既に旬を過ぎていて、マーケットは神出鬼没なミクロトレンドが支配しています。
Twitterのタイムラインに流れる偶然にも注目されるそれらは、インフルエンサーが仕掛けているわけでもなく、ステマを流されているわけでもなく爆発的な人気を生んでしまうのです。潜在的に人々が欲しいと思っているモノたちなのです。
コモディティ化を防ぐのは一人一人の購買意識といえるでしょう。
そしてこの大量低品質からの脱却は、長く苦しいデフレスパイラルからの脱却を意味することなのかもしれません。
皆さんはいかがですか?
それでも海外で作られただいたい同じのコモディティを身にまとい、誰が決めたかわからない(低い)品質基準の世界が居心地よいと感じますか?
世界のクラフトマンたちが真面目に作った世界に一つしかない垂涎の品が、皆さんのすぐ身近な場所で手に取られるのを待っているかもしれません。
高騰
みなさんこんにちは。茂です。
ガソリンや珈琲豆が高騰しているのはもうご存知かと思いますが、次々にいろんなものが値上がりしてきます。
ガソリン高騰のきっかけはアメリカの電力不足から始まって、西海岸ではリッターあたり2ドルくらいになっています。生産国に増産を働きかけても聞いてくれないようです。
豆は産地の異常気象とコロナによる高需要、中国に集まるコンテナの世界的渋滞などが挙げられます。
世界と日本の経済水準に開きが出てきていて、日本は平均賃金も低いまま物価も停滞しています。日本は安くなってしまいました。
昔のように舶来品は高級で手が出なくなる時がやって来そうです。
輸入が高くなると言う事は、輸出が楽になると言うことでもあり、製造・生産者からみるとこの現象(高騰)はチャンスとも言えます。
しかし材料や生産拠点を海外に依存している現在の日本産業界の多くは手も足も出ない状況でしょう。
トヨタの主張する「危機感」をそろそろ真剣に受け止めて本気を出さないといけませんね。
周りを見渡せばしっかりと値上がりしてなお成り立っている流通もあります。
車やオートバイはここ20年で平均価格が1.5倍から2倍になっています(僕調べ)
オートバイに乗るためにかぶるヘルメットも、2倍以上になりました。
反対にお値段があまり変わらない楽器などは、中古のビンテージ市場が高騰?しています。
どちらも【成長】はしていませんし、むしろ縮小になっています。
聞けば輸入牛肉の高騰が始まり、A5ランクだのシャドーブリオンなどと贅の極みを愉しんだ時代は終わろうとしています。
珈琲豆はNY市場での暴騰による影響が豆全体に及んで、ダイレクトトレードのスペシャルティが値上がりしてしまう危険をはらんでいます。
現在の物価高騰にはネガティブな要素がたくさんあって、抜け出すには日本の通貨価値や生産力の再現など国全体で世界とわたりあう必要がありそうです。
政府が小手先の交渉や戦術を駆使して良くなるような物でもなさそうです。
違い将来、牛丼の価格が50%、ガソリンは200円、輸入小麦は2倍、珈琲豆は1.5倍.スーパーでの支払平均が1.2倍くらいになるかもしれませんね。
お金が無い。政府に期待して配給を待ちますか。
それともこの20年で垂れ流して来た円を取り戻して外貨を獲得できる国に再生するか。
エネルギーで弱みのある日本は原子力を封じられれば現状では石油を燃やすしかありません。
水素社会の実現には大きな期待がかかっていて、雇用の創出も、エネルギー問題からの離脱も技術で世界をリードする日本の再生も全て叶うのではないでしょうか。
夢のある社会が生まれ、これから日本を背負う世代に良いバトンを渡すことができるのではないでしょうか。
お客さんにもこの「水素」と戦っていらっしゃる技術の方がいらっしゃいます。
この技術は日本のみならず、炭素社会の問題から世界を救う救世主になるかもしれません。大きな期待を持って応援したいと思います。
【水素マン】というヒーローが現れて炭素怪獣やサボリーマンと戦い、世界を救うと言うストーリーで日曜日の17:00からやって欲しい…
皮肉にも今日2021/11/10は低気圧の通過に伴って陽射しが強く暖かくなっています。
暖かい。これが二酸化炭素の仕業だけだと決めつける理屈は素直に受け入れられませんが、二酸化炭素の排出が無くなって、地球が冷えてくればその証明にもなるのでしょうか。
通りでスケボーする少年がいればすぐに苦情を申し立てて騒ぐ人が現れて、街に「スケボー禁止」の札が貼られます。
カウンターカルチャーに憧れる少年たちの象徴的玩具、スケボー。自然とスケボーは不良、スケボーは迷惑、スケボーは危険。となり、見かけ不良少年たちを排除しようと言うことになる。
言うことを聞かせるために行政の執行力をもって禁止させる。
カウンターカルチャーを否定するのはより良い街づくりを期待する側からすれば当たり前でしょう。
しかし若者は現在のこの閉塞感から抜け出したいともがいているのかもしれません。その行動が現在を否定するやり方になるのは当たり前なのかもしれません。若者達の心は泣いているのかもしれません。
我々が抜け出したいのはむしろこの社会を導いてしまった過去。その責任から逃れたいのかもしれません。
何かを止めろと言うより、より良いものを作り続ける考え方にシフトしたいものです。
秋らしくない秋晴れに、堅苦しく臭い話になってしまいました。
珈琲のんで落ち着きます。
(写真は中野刑務所跡地の見学会の時のものです)
パイロット
おはようございます(いま朝なんです)
新型コロナ感染拡大による緊急事態宣言が解除されました。
飲食店でお酒が飲める解禁ですねw
取引先の酒屋さんも活況ですし、SNSには飲食店で飲んでる写真がたくさん流れてきます。お酒禁止のような理不尽な要求がもう来ないことを祈るばかりですが、コロナは終わったわけじゃないと都知事もおっしゃるように、消えたわけではないので一定の注意は怠れません。
さてパイロットですが、僕がこの言葉を覚えて使ったのは有線テレビ放送技術者時代でした。電線などにぶら下がってるお弁当箱のようなアンプと呼ばれる装置があるんですが、テレビ地上波は1・3チャンネルと4~12チャンネルの2域の電波をつかっていて、1・3は周波数帯域が低い(遠くまで飛ぶ)FM域に近いものと、周波数帯域が比較的高い(直進性が高い)ものを使っています。現在は光ケーブルを利用して遠くまで減衰せずに伝送することが可能となり、インターネットや衛星反射波で非常に多くの情報が流れています。もはや地上波帯域の利用割り当て(普通のテレビ視聴)に意味があるのかわからない状態ですが、国際ルールにのっとって日本は電波を利用していますので、そう簡単に消滅するものでもありませんが、これからの電波利用基準は刷新されてくるでしょう。
基準という言葉が出たところで本題に入ります。
僕が使っていた電波用語では、この基準というものがパイロットということになります。
1~12チャンネルまで、それぞれ特徴上周波数が高い電波ほど伝搬損が多くなります。遠くに運ぶと減るんですね。
そのためチャンネルごとに管理できるチャンネルプロパーアンプという増幅器をつかい、発信元で減衰率の高い12チャンネルを強めに出して、1チャンネルをもっとも弱く、きれいな坂道になるバランス送信しています。そうすることで到着時のバランスを正常にすることができるのですが、何段ものアンプカスケードを通過するにしたがって中域(4~6チャンネル)が上がって山なりになったり、反対に下がって弓なりになってしまったりと、せっかく作ったバランスが崩れていきます。
アンプにはこれを修正するイコライザーが搭載されていて、山を上げたり下げたりします。このとき、何を基準にどこの帯域を上げたらいいか、機械には判断できないので、大元のチャンネルプロパーアンプからの発信で、12チャンネルの外にチューニング用のパイロット波を流します。
このパイロットは一定の電波であって、12チャンネルのバランスをとるために実際の利用電波ではない周波数に設定されます。アンプはこれを基準にイコライザーをあげさげるするように設計されています。
ここまで妙に専門的な話でしたが、今どきのインターネット利用者の皆さんには古典的アナログ世代の呪文にしか聞こえないところでしょうか(笑)
パイロットはいろんなシーンに使われている用語です。
例えばルアーフィッシング。ブラックバスに代表されるルアーフィッシングは、フィールドに着いてなにをしていいかわからないときに使われるのが「パイロットルアー」と呼ばれます。だいたいバイブレーションプラグが主流でした。
このパイロットルアーに、どのような反応があるのかないのか。それを見極めてフィールドのコンディションや魚の動きを見極めて作戦を立てるのです。
パイロットは一つの基準になります。僕もいろんなシーンでこのパイロットの存在とその理屈を取り入れてきました。
珈琲も焙煎度や味の方向性を表現するときに何か基準が欲しいところです。
しかし珈琲の風味やそれぞれの味わい方には途方もない種類と奥行きがあります。
珈琲屋が表現する「珈琲らしい」とか「深いコク」というのはいったいどういう基準をもって示されているのでしょうか。
謎ですね。
今朝、インドネシアの珈琲をハイロースト(当店基準では2ハゼ頭かその手前あたり)で昨日焙煎したものを87度程度で割と早め(自分基準)で淹れたものをすすっていて感じたんですね。
スマトラウォッシュは独特の世界で、ほかの珈琲とは似て非なるものだと。
もっというと、各国で珈琲の実を育てて似たような方法で精製されて作られ、流通に乗って世界に広く愛されている珈琲に、一つも同じものはないんです。そしてそれを楽しむためのツールやメソッドにもそれぞれ狙った風味を味わうための文化があって、日本では一般的なドリップ式をはじめ、エスプレッソやフレンチプレス、トルコ式、コールドブリューなど様々なメソッドがありますし、焙煎の窯も更なりです。
ここで気づきました。
このままでいいんだ。と。
基準となるパイロットを一つ設定してしまうと、もうそこにはパイロットに操縦された飛行機に乗っている状態になってしまいます(笑)
スマトラはまったく別の飲み物だと仮定するとどうでしょう。
飛行機の種類から船、あるいは自動車や自転車のような乗り物(飲み物)だとみれば広がりがありますよね。
僕のポジション(珈琲を販売する側の人)だと、様々な味覚や価値観の方にお渡しするための広がりは重要で、個人的な好みのパイロットだけで評価したり表現したりしてはいられないのですね。
まえにもお書きしましたが、お客様におかれましてはこの反対に「パイロット」方式を導入して究極を求める旅に出られることをお勧めしたします。求めることが風味と感覚の織り成す魅惑の世界へと誘うことでしょう。
ちなみに多くのお客様にパイロットとしてお勧めしているのがブラジルのナチュラルです。できればハイロースト(当店基準)でお試しください。
そこから始まる泥沼の世界へ、丸茂珈琲と一緒にいってみませんか?
そしてまたこのニュートラルゾーンへ帰ってきてしまう、不思議な世界へと扉は続きます。
珈琲アディクション
こんにちは丸茂です。
珈琲を信じる者は救われます(嘘です
コロナが世界を襲って1年半?が経過しました。どの国の国民もこの災いと戦って苦しんでいます。感染機会は世界に平等に降りかかりましたが、戦い方は国によってさまざまなようですね。
道理を単純に考えると、マスクをつけて距離を取ってお互いの感染機会を減らす作戦は絶対的な効果を生むものではなくても「軽減する方向」に作用することは間違いないでしょう。
目的や目標が感染拡大を防ぐことにあり、手法も単純明快ですね。
しかしいろんなご意見やデマが飛び交うようになり、マスクが危険だったりワクチンにマイクロチップが入っていたり、最後はこれだけの被害にもかかわらず「コロナは嘘」なんていうものまで様々ですね。
団体や組織を運営する方の多くが一度は悩むことのなかに「目的と手法の混同」というのがありますが、営利目的の企業さんの場合、「目的」がどんどんズレていってることが多いと思います。儲けるために企業の目的を後付けする手法は日本企業に多い。
コロナによる被害を減らし、感染しても一人でも多く「死なないで済む」ようにするのは国民の安全を守る方に向かう考え方で間違いないでしょう。
さてアディクションです。
わたし、過去、趣味でランニングをしていたのですがひざの故障であきらめた経験をもってます。
ランニングは健康維持にとてもよくて、気持ちも軽やかになり、心身共に健康になれますよね。心からそう思います。
身体が軽くなり、ダイエットに成功し、ひとまわりもふたまわりも下のサイズのデニムを履けるようになりました。
ある日、膝というか脚の芯が痛いような鈍痛が始まり、次第に強くなってついに歩けないほどの痛みになってしまいました。
原因は過度のダイエットによるタンパク質不足。ランニングで消耗するエネルギーを脚から捻出していたという・・
精神的にはもうこのランニング中毒から抜け出すのは辛かったです。
3度の飯を抜いて楽しんできたのに「走れない」なんて、人間やめろというほど辛い出来事でした。
このとき僕の心の中には「走ること」が最優先事項で、仕事場から、研修先から、出張先でも走ることだけに喜びを見出す生活でした。
このことが一つの「バイアス思考」を生んでいたのでしょう。走る人の仲間を増やしてクラブを作り、シャツまで作って、走らない人との交流を避けるほどのめりこんでいました。だから「走れない」は自分の中では「ありえない」ことだったんです。
この信じて疑わない思考と間違いや失敗に気づかない思考は似ています。
僕はこのアディクションの淵から怪我をもって抜け出しましたが、過食や拒食におちいってしまう人や、仕事や家族を犠牲にしても走ることを優先するような人も。
過信、妄信の類はどこにでも転がっていて、コロナの「マスクは害」「ワクチンは毒」「アメリカ製薬会社の陰謀」など、疑心暗鬼になった人々の心からどんどん生まれてきますね。ランニングこそ全てと信じ切っていた僕のように膝の筋肉がやせて半月板を失うときが来るかもしれません。
「ディズニーは中毒・宗教だ」という話をよく耳にしますが、どうでしょう。
人々が期待し、「これはよい」と信じる仕組みがそこにあります。目的や目標がブレてしまうこともありませんし、完成してバージョンアップすることもありませんから永遠といえるでしょう。
ディズニーにコロナは倒せませんが、もしかするとパークのルールを厳格に守ると目標を射抜けるかもしれませんね。SCSEの徹底はもしかすると国の機関に必要なのではないでしょうか。
珈琲アディクション(中毒)はどうでしょう。
珈琲を淹れる方法は千差万別。ドリップやサイフォンに加え、フレンチプレスやエスプレッソ、ターキッシュなどの器具を使う方法など様々な文化が知られ、採用されるようになりました。
それぞれの信者(笑)はもうこれこそが珈琲で他を圧倒する理論で我こそは珈琲教の教祖という方もいらっしゃいます。
どの方法がよくて、どれが嘘なのか。
もうこれはやってみるしかありませんよね。
僕の考えだと、キャラクターを殺して長時間焙煎をすれば芯もとれてまったりした珈琲になると思っています。反対に強火でフレッシュに焼けば芯が残り、酸味の効いたキャラ丸出しのカップに。
キャラを死滅させない火加減で限りなくフレッシュな焙煎がおそらく一番おいしいのではないか。と思っています。
豆の持っている特徴によりますが、成分量の濃い早く焦げる豆は焙煎初期から高反応で俗に「火通りがよい」などと言われますが、「薄豆」となんとなく悪い名前に聞こえてしまう種類は高温でガンガン行かないとキャラが失われてしまう。
豆の生産時期と入荷プロセス、保管状況などいろいろな条件で豆の個性は変わってきますから、ひとまとめに「こうだ」と決めつけるわけにもいきません。
試験的要素は必要で、経験やデータによる傾向を頼りに焙煎結果を成功に導くのです。
抽出もそうでしょう。
速く熱く、いやゆっくりぬるく・・
最初に落ちる珈琲は苦いから捨てるべきだ(?)
最後に残る泡はアクだから捨てるべきだ(?)
聴いてみると驚くような情報がまことしやかに伝わっているようです。
聴きたい信じたい情報だけが耳に入る。そういう状態を認証バイアスというらしいですね。論の正しさを証明するために不都合な情報を捨ててしまい、偏った状態から脱出できません。
前にお書きしましたが、抽出も基本的な理屈はあるものの、どう感じるかや豆の種類や焙煎度などカップを左右する要素はたくさんあります。
自論の「論」を導き出すプロセスに終わりがないこともまた事実なのではないでしょうか。相反する情報の排除は簡単ですが、一度「なぜそうなのか」を検討するといいですね。基本に照らし合わせながらあふれる情報を処理していくしかないのです。
さてちょっとだけコロナに戻りますが、実験的にコロナに罹っていろいろ試してみれば確かに経験から法則が見つかることもありかもしれません。
しかしいかがでしょう?これほど多く「かかるなキケン」と教えてくれる「情報」が流れています。しかしこれも情報が多い(多数によって偏っているように見える)からという理由から「少数の価値」に期待するバイアスがかかって「俺は違う」と科学的に立証された多くの情報を信じない人たちが現れるのですね。
うーん、実に難しい。
紅茶キノコで一儲けできそうです(笑)
誰かがいいました。至高の一杯を求める旅に終わりはない、と。
中毒になって、信じる者しか救わない壺業者を妄信するも、否定するものではありませんが、ほんの少し「こうかもしれない」と思うだけで、沼から脱出できることもあります。いや反対に深みにはまるかもしれませんね・・・
どうぞ皆さんも自分を信じて、この広い自由な珈琲の世界を存分に認証バイアスかけてお楽しみください。(BGMはエレクトリカルパレードです)